4月6日7日第11回朝日チャリティーコンサート「石井好子とシャンソンの夕べ・難問救済〜世界の子供たちに愛の手を」を朝日ホールで行いました。 普段シャンソンを専門にされない方々に、シャンソンを歌ったり、演奏していただくコンサートでございます。 UNHCR協会ニュースレター「With You」には2005年5月から10月迄スーダンのナイル河沿いの町、内戦によって破壊しつくされ地雷が町の廻りに埋められているマルカルに事務所開設をされた米川正子さんの手記がのっています。 「日本が戦後発展出来たのも、阪神大震災後復興出来たのも国民の努力のみでなく国際社会からの支援があった事を忘れてはならない」 スーダンの西部地方ではアラブ系民兵がアフリカ系住民を襲撃、21万人のスーダン難民が出ました。 家をうばわれ国外に流れた難民は飢えと寒さ、水さえ手に入れにくい中での40度を超える酷暑に耐えて生きています。 テレビをひねれば誰かが何か食べています。 難民の実態を一人でも多くの方に御理解いただきたいと切望しながらこのチャリティーコンサートを続けております。 |
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アダモ |
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石井好子 |
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3月12日オーチャードホールで行われたアダモのコンサートを聞きにいった。 「サントワ・マミー」「雪が降る」「夜のメロディー」「ろくでなし」と次々にヒット曲を発表したのは1960年代である。 2004年5月といえば、倒れてから丸二年もたっていない。 人間いつ何時何が起きるかわからない。 ホールは満員で熱気があった。さすがにアダモの人気はおとろえていなかった。 無理をすることもなく淡々と歌い始めた。 世界のアイドルであったアダモ。不滅のように輝いていた歌手。病魔という一番恐ろしい敵につぶされかかっても起き上がってみせた彼のステージは感動的だった。カムバックの前にはどんな苦しみがあったことだろうか。 でも彼は「歌」と共に再起しそして深みをました歌を聞かせてくれた。 彼に向かって例えようもない激しい大きな拍手が送られたのはそれ故でもある。 |
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春のお便り(2) |
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石井好子 |
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寒かった日々から急に春が訪れた今日この頃オリンピックも遠くなってしまったが、オリンピックがあったために思いがけない日本人の心の中ものぞいてしまった感がある。 一番おどろいたのは今の日本人は自国の選手が上位入賞する事のみ願い、スポーツマンシップを忘れてしまった事だった。 ただ一個いただいた金メダルは尊い。 私は日本人である。立川氏の二倍以上長い事日本人として生きているがそんな「気」を送ったおぼえはない。転べ!という念は邪念であり悪魔の祈りだ。とふんがいしていたら、小坂文部科学相まで荒川選手に向かってテレビで「人の不幸を喜こんじゃいけないけれど、こけた時は喜びましたね。これでやった!とものすごく喜こんだ」とニコニコ顔で握手をもとめた。 「堂々と戦ってすばらしい演技だった」と言うべきなのに「相手がこけたおかげで金メダルがとれましたね」と言ったわけなのだから・・・。 「日本語はもうすたれましたね」「日本はどんどん悪くなってゆきますね」「道義心も全くみられなくなりました」そんな言葉をときどき聞くけれどトリノオリンピックは「こけろ」といういやな言葉が後味を残した。 |
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春のお便り(1) |
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石井好子 |
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オリンピックも金メダル1個のみで終わりましたが、その1個はメダル10個にも値するように輝いていますね。 |
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