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ホームページ長い事御無沙汰してしまいました。 木原光知子さんことミミさんとは四十年来のつきあいでした。 ミミさんは和食党、私はフレンチでしたから一緒の食事のとき中間を選んで大てい中華料理でした。家で食事の時はミミさんの好物、おいしいキムチを必ず用意しました。 倒れる前夜電話をくれて10月6日ミミさんの主催第11回ウーマンズスイムフェスティバルの話をしました。私も二回平泳ぎで出場させていただいた大きなフェスティバル。 15日はミミさんとそして仲良しの和田要子さん大谷けい子さんと一緒に中華料理のテーブルを囲む事になっていたからでした。 10月13日外出先から家へ帰る車中にミミさんのマネージャーFさんから電話がかかりました。「おしらせしなくてはならない事がおきたので」沈みこんだようなひくい声を聞いて「いやな話でないとよいけれど」と思わず答えました。 そしてその日仕事先の平塚でミミさんが倒れた事を知りました。「水泳教室のプールで突然意識を失って」と云うのに一瞬何の事かわからなくなり耳を疑って「誰が倒れたの」とききかえしました。くも膜下出血で手術は不可能、大変危険な状態と説明をされてそれこそ茫然自失となりました。 信じられない、まさか、そんな事がという気持と、くも膜下出血という言葉が重く心にのしかかりました。何故なら親しかった二人の友人がくも膜下出血で倒れ数日後に亡くなっているからでした。 平塚の病院にかけつけたときミミさんは点滴をうけていたせいかふっくらとつややかな顔色で、すやすやとうたた寝をしているみたいで今にも「じょうだん、じょうだん」と笑いながら起き上がってくれるのではないかとすら思って了う程でした。 18日未明昏睡状態のままミミさんは安らかに召されてゆきました。 11月19日築地本願寺で行われる社葬で私は弔辞を読むことになりました。 『弔辞をよんだシャンソン歌手の石井好子は「賢く優しく思いやりが深く美しくて優しいミミさんは私達の太陽でした。あなたにめぐり逢えまして沢山の幸せをいただきました。有りがとうございました」と号泣した』と芸能ニュースは書きました。 号泣はしませんでしたが泣くまいと心にちかい読み切ったものの、後半は流れてくる涙をおさえる事が出来ませんでした。大きな舞台で歌った後以上に一つの大切な事が終わって身も心も共にもぬけの殻のようになりました。 今年の1月ミミさんの特集がテレビで放映される事になり「ミミさんについて語ってほしい」との依頼がありました。ミミさんの死を悼みながらミミさんの歩んだ業績を讃え、ほほえみをたやさず人々をはげましなぐさめてくれた事について1時間15分熱意を込めて語りました。放映はわずか数十秒。「最近は少し疲れていた」という暗い言葉だけの放映でショックを受けました。 ミミさんの特集という事でしたが「挫折を経験した、更年期に苦しんだ」という全くミミさんらしからぬ事が取り上げられていたのには友人達と首をかしげました。 ミミさんが亡くなって三ヶ月半,2月4日の節分を過ぎたあと東京にも珍しく大雪が降りました。テラスに降り積もる雪をみながら、新しい年を迎えたのだから私も新しい気持ちにならなくてはいけないとしみじみ思いました。ミミさんの死を嘆いてばかりいたらミミさんは悲しむ事と思います。 2月16日17日芝メルパルクホール「シャンソンフォリー」で歌い初めをして、私も2008年元気を出して歌ってゆきたいと願っています。 |
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アンリ・サルヴァドールは9月6日7日8日、東京ミッドタウンガーデンテラスにオープンしたビルボードライブに於いての3日間の引退公演を行った。 1917年元仏領ギアナに生まれた90才のクレオール歌手最後のコンサートであった。 「クロパン・クロパン」のヒットで世に出たサルヴァドールは人気歌手であり笑いを沢山くれる名コメディアンであったが、長い事準主役的存在だった。 5年前、サルヴァドール85才のコンサートはパリのパレ・デ・コングレ劇場で聞いた。 「パレ・デ・コングレをみたのなら引退公演はゆかない方がよいですよ」 ビルボードライブの舞台には9人の楽団がずらっと並んだためサルヴァドールは客席から4、5段の階段を上らなくてはならなかった。 そしてステージの上におかれた椅子に直行、座って歌い始めた。声は太く低くなったような気がしたが軽やかさは失われず気持ちよい声で歌った。 ダミアのステージを聞いたのは1952年(50年前)パリ「ブッフ・デュ・ノール劇場」だった。ダミアのファンだったから始めから胸がどきどきしていたけれど、更に感動のあまり息がつまって苦しくなった。そして毎晩毎晩劇場の一番安い席でダミアの歌を聞いた。 サルヴァドールは椅子にかけてうつむいたまま淡々とレオ・フェレの「アヴェック・ル・タン(時の流れ)」を歌った。歌い終わったとき私は思わず「ブラボー」と叫んだ。 1950年サンフランシスコ留学生の頃ライヴでルイ・アームストロングを聞いた。 サルヴァドールに向かってブラボーと叫んだのは、心の中からこみあげる熱い思いを堰き止める事ができなかったからだった。 90才サルヴァドールはたしかに老いたけれど、90才の彼が思いのすべてを込めて歌った「アヴェック・ル・タン」は眠っていた私の歌心をかき立ててくれた。 |
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